徒然@精神病院 某年2月初旬某日

以下、入院中に書いた日記を一部改変して書写します。


6:00 起床(韓国で変なワンダーランドでの生活の夢を見た。)
   その後、「テレビをつける、つけない」で、もめる。
   &親に弟への指令を確認。

6:45 朝食。納豆食うのが面倒だった。
   Hさんと口げんか。というか、一方的攻撃を受ける。
   イヤぁ〜な気分になる。
   人の信頼関係って離れているときに試されるんだ!って思う。

9:00 検温:いつもと同じようにやる。特になし。
   Hさんとの件でイヤーな気分。

10:00 包布交換:メンドー!かなりたるい。さらにUのせいでHGさんともめる。イヤーな気分。
   弟と再会面会。メガネを持ってきてくれたおかげで、今まで見えなかったものがよく見えてくる。
   それと、元来の注文品、すなわち、シャーペン、芯、そしてこのノートを受け取る。
   某試験がまた気になってイヤーな気分。

11:15 昼メシ。酢メシ(そぼろ、卵も)。あまり、美味くないが紅しょうが以外、すべて食い尽くす。Hさんにアイサツ。確認OK。
   US(高校以来からの友人。上記のUとは別)にtel。情報処理1種資格を取った!
   先を越された様で、イヤーな気分。
   自分も、退院したら、全てを某試験にかける!と誓う。
   メシを食ってるときに13:00に爪を切れとボヤかれる。
   まだ、そんなに、たいしたことないんだから、いいじゃんと思う。
   本当に、この病院は平和っていうか、超平和なトコだと思う。
   検便を終わらせる。
   (朝に話は戻る)I(大学の友人)に追試(@大学)の件はあきらめたってことを留守電に入れておく。
   弟が無事、家に着いたことを確認。
   USがD(高校以来の友人)ともちょくちょく会っているらしいので安心する。
   N(キャンパスは違うが同じ大学の友人)はどうしてるんだろう?とちょっと気になるが確かめようが無い。
   よくよく考えると、過去なんて関係ない。現在と未来だけを関係付けるだけ。
   時間なんて、止まっているのか、それとも流れているのか、なんて確かめようが無い。

14:00 コーヒータイム。Oさん「色んな人と話すのが良い」

15:40 テレビ(2F)とカラオケ(3F)との往復に疲れる。(みんな退院するらしい。今月中に。)
   USにtelして、DとSのtel番を教えてもらう。
   で、Dと、引越し(私が半年前に引越し)以来、喋ってなかったのが、嘘の様に会話が弾む。アイツも頑張って勉強してるらしい。
   「俺も早く勉強したい!」と思ったが、イヤな気分にはならない。
   落ち着いてる!と思う。
   
17:00 on TVで「間平とカルメーン」のドキュメントを見終わる。
   最後のナレーションで「純真」というコトバが出てきて気になる。
   柔軟(体操)やってると、某資格学校(当時通っていた学校。大学とは別。いわゆるWスクールしていた)のことが気になる。
   今度(次)の風呂は19日にする。

17:30 弟に15日、テキスト(某資格)を持ってきてもらうことを確認。
   
18:00 メシ
   奴なんてS(大学の友人だったが喧嘩別れ)より下だよ。へへへ!
   
20:00 眠剤を飲む。(2Fで)
   甘いモノと発作との関係が気になる。


以上、寒い月のある一日の記録である。
今、読み返すと意味不明なものが時々ある。
もう10年近く前なので意味不明なものが意味あるようにも思える。

不足説明として、私は独房から出て、2Fのナースルーム正面の畳部屋に移動した。3Fにも部屋があった。2階3階のみ移動可能範囲であった。外には絶対に出られなかった。(人によっては外出できるが、私は全く許されなかった。)

当時は大学と資格専門学校のWスクールをしていて、以前書いたように狂乱して強制入院(正確には医療保護入院と呼ぶ)させられ、突然、両学校に通えなくなったので不安感がいっぱいだった。

あとキチガイ同士での色んなドラマがあったことが分かる。
(あえて言う。精神疾患者はキチガイという従来かつ現在でも、明示的・暗示的の双方で存在する呼び名を使う。差別的な表現として避ける人がいるが、基本的に鬱病も含めて、精神病院の閉鎖病棟にいる患者は自傷他害の可能性があるのは事実=キチガイ)

また、友人や親族が恋しくなっていることが分かる。

続く…。

電気けいれん療法
治療の流れ

電気けいれん療法
治療の流れ


 治療の約6時間前から飲食物の摂取を行わないようにし、約1時間前には、治療中の気道分泌物を減らすことと不整脈を予防することを目的に抗コリン薬(アトロピン)の筋肉注射が行われる(治療開始後に静脈注射をする場合もある)。

 治療の時間がきたら、患者は、普通の麻酔と同じように治療室のベッドに寝て点滴を始め、心電図、脳波、血圧計などのモニター類を装着する。続いて麻酔薬と筋弛緩薬の静脈注射が行われ、同時に酸素吸入が開始される。その後、深い眠りに入り、全身の筋肉が十分に弛緩した時点で、頭皮の上から電気刺激が与えられる。この間、麻酔薬と筋弛緩薬が効いているために、けいれんは起こらず、脳波検査で発作派のみが確認される。目が責めて意識がはっきりするまでは治療スタッフが看護しており、この間約20〜30分である。

 この治療は、患者に応じて、1週間に2〜3回の頻度で、通常6〜12回実施される。

電気けいれん療法(ECT)とは…

電気けいれん療法とは…
 
 脳波上にけいれん発作波を誘発するような電気刺激を頭部に与えることによって、精神症状の改善を図る治療法。全身麻酔をした上で筋弛緩薬を使用して行うので、実際には運動性のけいれん発作は起こらず、患者は深く眠っている間にすべての処置が終了する。
 
 熟練した精神科医、麻酔担当医、看護師などで治療チームを作り、各々患者の精神状態、身体状態に合わせた治療計画を立て、設備の整った治療室で全身状態を管理しながら治療を行う。
 
 このような治療法は、運動性のけいれん発作を伴う従来の電気けいれん療法とは区別して、修正型電気けいれん療法(mECT)と呼ばれることもある。この療法であれば、薬物の副作用が現れやすい高齢者や身体合併症のある人でも、安全かつ効果的に治療を実施することが可能である。

初めての精神病院への入院 そのD
「独房から解放へ」

暴走混乱状態も沈静化し、4人部屋の畳部屋に移った。

初めて入院患者と接したときであった。

いろんな人がいた。

黙っている人。

ずっと喋っている人。

布団ベッドで、ほとんど動かない人。

司法試験勉強している人。

六法全書を持ち歩きながらブツブツ言っている人。

他にも色々な人がいた。

初期の私は、そのような色んな人たちに声をかけまくっていた。

基本的に大別すると、3種類のタイプに分類できる。

1:いかにも奇人
2:見た目は普通だが、話してみると奇人
3:見た目も話す内容も、まともな人


である。

行動を見たり、話してみると、自分なりに以上のように分類していた。

話した内容は覚えてないが、とにかく独房の寂寞から、嬉しさへと変わり、生身の人との接触が楽しかったのだ。

ただ、頭にきたのが、ある女性看護師だ。

なにかにつけ
「○○大学なんだから・・・」
とやたらに罵ってくる。

ナイチンゲールを見習え!

と怒鳴ってやったからかもしれない。

高尚な職業である、看護師は名の通り、「医師の補助役」ではなく、「患者の看護」という精神が必要である。

まぁ、そいつ以外の看護師は好い人のほうが多かった。

続く…

「身体療法」とは?

心の病気の心理的、社会的な側面に働きかける治療法を、

「心理社会療法(精神療法)」

と言い、

身体的な側面に働きかける治療法を、

「身体療法」

と言います。

特に、脳の機能の変化が関係していると考えられている「心の病気」(統合失調症(精神分裂病)・うつ病(鬱病・欝病)・躁うつ病(躁鬱病))では、心理社会療法とともに、身体療法が重要な役割を果たします。

最も一般的に行われている身体療法は「薬物療法」ですが、それ以外の身体療法が幾つかあります。

私が受けた「身体療法」は、「電気けいれん療法(ECT)」です。

初めての精神病院への入院 そのC
「悪魔の電気ショック」

前にも書いたが、独房から解放されたのはいつだったか全く覚えていない。

後日、知ったことなのだが、私は独房でも暴れていたらしく、

電気ショック

を知らないうちに、されていた。

電気ショックとは、全身を羽交い絞めにし、強烈な電流を患者に与えて、沈静化を図るという、トンデモナイ療法だ。

何故、それ(医学的に正式には「電気けいれん療法(ECT)」と言う)を覚えていないかというと、まず全身麻酔されるからである。

そして、筋弛緩薬を投入する。

死んでもおかしくない、過激な療法なのだ。

それを私は受けたのである。

記憶には無いのだが・・・。

多分、知らないうちに注射をされ(全身麻酔注射)、気づいたときには、麻酔から覚めてるため、本人には記憶されないのだろう。

この「電気ショック」の話は、退院し、何年も経ってから親から聞いた話である。

前述のとおり、独房で暴れまくっていた。

鉄製のドアに何回も「蹴り」を入れた記憶はある。

投薬しても急性期の私は効かなかったから、「電気ショック」したのだろう。

そして、話を戻し、電気ショック効果があったのか、私はおとなしくなった様で、独房から、通常の閉鎖病棟の部屋へと移動したのであった。

初めての精神病院への入院 そのB 「独房での経験」

目を覚まして、独房がどのようになっているか見てみた。

部屋の奥にオレンジ色で半透明の壁があり、その奥に和式トイレがあった。
警察署の独房では、間仕切りさえなかったので、まだマシだった。

壁を見てみると、いたる所に意味不明な文字が書かれ、絵も描かれていた。
全く意味不明の代物だった。
過去にこの独房に収監された患者が書いたものであろう。

そして逆のほうには、厚い鉄製のドアがあった。
そのドアには、食事を入れるための小さな窓があった。
集合団地の鉄製のドアに郵便受けがついているものを想像してください。
それと同じ感じです。

しばらくすると、男がドアを開けて入ってきた。
ジュースを持ってきていた。
そしてそれを一気に飲み干した。

後になって知ったが、彼は看護士長だった。
優しい印象を受けた。
私は妄想状態だったので、

「公安の人でしょ?手帳見せてよ。」

と収監された後、しばらくはそのようなことをずっと言っていた。

手帳を見せてもらうと、三和銀行の手帳だった。

たまに奇妙な声が隣から聞こえてくるので、
「うっせぇーなぁ!」
と怒鳴ってやった。

すると、
「ねぇ、ねぇ、××××・・・」
と意味不明な会話を持ちかけてきた。

まぁ、私も狂っていたので、変な会話を彼としていた。

食事は一日3食、きっちりと食べた。

それ以外の時間は、睡眠か、筋トレをひたすらやっていた。
腕立て伏せ腹筋などだ。

あとは隣の独房の変人との会話。

1週間くらい監禁されていたと思うが、いつその独房から出してもらえたかは覚えていない。

続く。

初めての精神病院への入院 そのA 「独房での葛藤」

@警察署


早速、いわゆる「取調べ」が始まる。
狭い部屋での尋問である。

内容はほとんど記憶に無い。

ただ、「麻雀を誰としたか?」などと全く「不法侵入」行為とは脈絡の無い質問を延々とされ、それに答えていたことだけは覚えている。

そして、数時間が経っただろうか・・・。

突然、俺はブチ切れた。
そして怒鳴った。

「お前らは腐っている!」

みたいな警察官を罵倒するように叫んだのであった。

すると、独房へとブチ込まれた。
独房には和式のトイレのみあり、広さは4畳半くらいだった。

俺は独房で黙ったまま座っていた。
数時間経ったとき、ある女性が来た。
何か質問してきたが、俺は彼女も警察とグルの下郎だと思い、罵声で押収した。

後で分かったのだが、彼女は保健所の職員だった。

そして、しばらくして、数人の警察官が独房に来て、俺をそこから出した。

「やっと俺の言ってることが奴等にも通じ、解放される!」

そう思ったが、違った。

ワゴン車に乗せられ、20分くらい走っただろうか。

気がつくと、白衣を着た男と、何故だか奥には両親がいた。
車に一緒に乗ってきた警察官も同じくいた。

何を訊かれ、何を答えたか全く覚えてない。

記憶にあるのは、眠りから覚め、気づくと茶色を基調とした内装の独房に再び収監されていたのだった。


続く…

初めての精神病院への入院 その@ 「真夜中の道を たった一人で走れるかい?」

私は統合失調症を患っています。
正式にこの病名が私に付けられたのは2年位前です。
それまでは「心因反応」という曖昧な病名でした。


これから私が狂っていった過程を時系列的に書いていきたい、と思います。


1999年1月、私は不法侵入をしました。
マンションのバルコニー伝いに3部屋くらい離れた、他人のバルコニーに進入したのです。
6階だったので、落ちていたら100%死んでいたでしょう。


私は以前から首が痛くて、横浜みなとみらいの「けいゆう病院」に通い、精密検査を受けました。
初めてMRIを経験しました。
その結果、医師から薬を処方され飲んでいました。

すると、何ヶ月か何週間か(正確には覚えていません)常用していると、ある晩、頭の中が光ったのです。
雷が頭の中で光った、そんな感じです。

(蛇足:今、思い出すと、服用していた薬が神経系に関するものだったのではないか?それで狂ったのではないか?と思っています。
当時のその薬は探せば見つかるはずなのですが、見つけたところで、それを根拠に今の病気の原因として訴訟を起こしても勝ち目は無さそうなので、探しません。)

それ以後、親に「寝なくても平気、食べなくても平気」
など、妙に意味不明なことを言い始めたそうです。

私が覚えているのは
「源平合戦が起こる!」
と本気で親に向かって言ってたことくらいです。

そして、ある晩、住んでいたマンションの周りを走りまくりました。
当時、聴いていた、稲葉浩志さんの「It's not too late」の歌詞の

「真夜中の道を たった一人で走れるかい」

をマジでやっていたのです。

で、走ってる途中に、道に停車している車内が私を監視しているかのように思えてきました。

精神医学的には、
「妄想状態」
だったそうです。

そして走り終えて、当時、大好きだった女性が、俺と同じマンションにいる!という確信が沸々と満ちてきました。
そして、片っ端からインターフォンを鳴らし、愛の告白を一方的にしました。
そのマンションは全室ワンルームだったのですが、ある部屋で、
「何言ってるかわかりません。」
と反応があったくらいしか記憶していません。
何せ、「妄想状態」だったので。

で、そのまま自室へ帰り、朝まで起きていました。
確かワインを飲み続けていたと思います。

ワインを、その好きな人と飲みたいと思い、赤ワインを帽子で包み
ベランダに出ました。

で、まず自室のベランダから左の部屋のベランダへ行きました。
すると
「違うよ、あっちだよ。」
とその部屋の住人の若い男が言いました。

そして、右側の部屋のベランダに行くと、オジサンが出てきて
「大丈夫か?」
と訊くので、
「はい」
と答えました。

そして、右側の突き当たりのベランダまで行きました。
女性がいて、ビックリしていました。
窓の鍵を開けてくれないので、そのままベランダで待ってました。

すると、警察がやってきて近くの署まで連行されました。


警察署での話は、次回書きます。


タグ:精神病院

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